間取りの歴史を知りましょう。
2021.07.10 00:00
佐野支店 S・K
こんにちは!インターパークから佐野に引っ越した設計部のS・Kです。
このブログに携わるのも今回で3回目です。
1回目は条例のお話、2回目は空き家のお話…
そして第3回目は…住宅の歴史+間取りのお話になります。
家を建てたいと考えている方々が一番気にするのはやっぱり間取りですね。
ここにリビングをおいて…お風呂をおいて…パズルのようにお部屋をはめ込んでいく時間は家づくりの醍醐味です。
今では3LDKや4LDKが主流ですがそれも時代の流れ。
昔は身分・立場または社会状況によって住める住宅に違いがありました。
しかし、昔の住宅でも現代の住宅の間取り構成に影響を与えているものは多いですし、
根本的な床、壁、天井といったつくりが変わることはありません。
ちなみに今回スポットを当てていくのは当時の庶民の住宅です。
現在一般的となっている間取りと比べながらこんな間取りもあったんだと思っていただければ幸いです。
大きな土間で農作業を行い、板床にて生活するスタイルが農民の主流になりました。
代表的なものには「三間取り」「四間取り」と呼ばれる今で言う居室が3つ、4つと並んだだけのものです。
農家には基本的に廊下はなく居間を通過して居間に移動するという形式でした。
町で暮らす商人、職人は表通りに店を構えて裏に住まいをもつ「町屋」に住んでいました。
町では間口が狭く奥行きが長い住宅が連続しており、各部屋に光が入らないことはもちろん、他の家からの延焼もしばしば起こりました。
玄関から入って続く長い土間は「通り庭(通り土間)」と呼ばれ、水廻りほかの設備はこの通り庭に設置されていました。
住宅の中で複数の居室が要求された時代です。
水廻りなどのサービス空間は中廊下によって分離され、これによってプライバシーの確保につながりました。
また、当時は男性の権威や知識人の象徴として客間兼書斎(もしくは両方)も間取りの中に頻繁に取り入れられました。
女性の立場が確立されていない背景から、家事をする台所が条件の悪い北側に来ているのも分かります。
南に居室、北側に水廻りを配置する構成は現代の間取り構成の基本にもなっています。
第二次世界大戦が終戦すると住む家を失った人たちがたくさん現れました。
当時は資材不足の影響もあって、住宅機能の合理化の考えが浸透していきます。
そんな中で増沢洵設計の必要最低限の機能だけを持った「最小限住宅」が生まれました。
その床面積は実に9坪(9坪ハウスとも言われています)。
しかし小さいながらも2階建で大きな吹抜けが開放感を演出しています。
最小限住宅から派生して集合住宅で取り入れられたのが「51C型(DK型)」の間取りです。
今ではメジャーな形式の一つとなったダイニングとキッチンが一体となったこの間取りができたことで
食事室と寝室を分離する「食寝分離」の考え方が広まりました。
そして昭和の後半からハウスメーカーが台頭してきました。
すると当時の人たちの憧れは庭付きの一戸建て住宅に変化していきます。
平成に入ると地方では戸建て住宅をもつ考え方が一般的になりました。
さらにどんな素材・色にするか、間取りにするかなど選択の幅が広がったことで
住宅の間取りにも多様性が求められることになりました。
ここまで時代ごとの住宅の変遷を見てきました。
住宅の間取りは流行り廃りに左右されやすく、当時の人々の考え方が色濃く反映されているものだと感じています。
同時に国の経済状況や周りの環境、自分の立場にあわせた住まいに住んでいた時代もあったことが分かります。
住む場所や間取りを自由に選択できるようになった今の時代はとても幸せなのかも知れません。
令和時代は地球温暖化の影響もあって、生活の中で排出するCO2を減らそうとする取り組みが行われています。
高断熱・高気密の省エネ住宅はもはや当たり前になってきていますね。
また住宅業界は利便性の追求にも力を入れています。
住宅全体の設備がインターネットで繋がるIoT住宅や住宅設備そのものにもAIを組み込むシステム開発も進められています。
これからのニューノーマルな住宅はどんな間取りを生み出すのでしょうか?
建築豆知識